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家づくりマガジン
2023.07.14

有松絞りの文化と町の歴史を未来へつなぐ「竹田嘉兵衛商店」 ~前編~

クラシスホームが本社を構える名古屋市緑区。歴史が薫る古き良き町並みや伝統文化、豊かな自然、新興住宅地で形成される新たなカルチャーが、町全体に活気をもたらしています。

「町の魅力をお伝えしたい!」という思いから、クラシスホーム近隣のお店をご紹介。記念すべき第1回は、緑区有松が誇る伝統文化「有松絞り」を守り、次世代へ継承する「竹田嘉兵衛商店」です。

今回は、有松の歴史新時代へ向けた日本文化の在り方について、代表取締役会長の竹田嘉兵衛さんにお話を伺いました。有松の魅力の再発見ともなるお話を前編・後編の2本立てでお送りします。

(以下、「竹田嘉兵衛商店」代表取締役会長の竹田嘉兵衛さん=竹田 ※敬称略)

移住者が開村した有松の歴史。絞り染めを旅人の土産品に

「株式会社竹田嘉兵衛商店」代表取締役会長の竹田嘉兵衛さん

―「有松」という地域の成り立ちについてお聞かせください。

竹田:有松地域の興りは、江戸時代の1608(慶長13)年。当時、全国統一のために幕府は街道の整備を進めていたのですが、東海道の池鯉鮒(ちりゅう)宿と鳴海(なるみ)宿の間にあった有松村は、人気のない荒地でした。

「人々が安心して東海道を往来できるように」と治安の改善を願った尾張藩は、人を集めて集落をつくろうと移住を奨励します。その時、知多半島の阿久比地域から移住した人物が、後に有松絞りの開祖となる竹田庄九郎をはじめとする8名でした。

―「有松絞り」はどのように誕生したのでしょうか。

竹田:庄九郎たちは、幕府のお達しにより有松へ移住したものの、有松の地は土壌が悪く農業には適していませんでした。そのため、移住者たちは街道や城などの工事をしたり、軒先でわらじなどのわずかな品を売ったりしながら生計を立てていました。

そんな時に、庄九郎は名古屋城築城のために集まった人の中から、絞り染めに目を留めます。「これは、街道を往来する人々の土産品になるのではないか!」と思いを巡らせた庄九郎は、試行錯誤しながら絞り染めの制作を始めました。

絞りの生産には、染めるための木綿布を仕入れる必要があります。そのため、絞り製品の生産・販売が軌道に乗るまでは、尾張藩に仕入れなどの肩入れをしてもらい、庇護を受けていたことと思われます。

徳川家の庇護を受け、東海道を代表する特産品へ

竹田庄九郎の400周年を記念してつくられた絞り染め作品

―有松で始まった絞りの反物や手ぬぐい。人気の土産品になった背景についてお聞かせください。

竹田:有松村の経済に見通しが立ったところで、阿久比からさらなる移住者を招き、村を挙げて本格的に絞り製品の生産・販売をするようになったとされています。新しい技への挑戦や改良など、庄九郎のあくなき努力とものづくりに対する豊かな感性が基盤となり、多彩な新技法が次々と生み出されました。

その美しさや柄の斬新さ、技術力の高さから有松絞りの評判が広がり、街道きっての特産品に。江戸詰めを終えた諸国の大名が故郷への土産として、こぞって買い求めるようになりました。尾張徳川家では、絹に有松絞りの染めを施した物を将軍家への祝い品として重用するなど、大いに取り立てたとされています。

―有松に残る数々の豪壮な建物が、当時の有松の好況を伝えていますね。

竹田:有松絞りの産業が盛んになればなるほど、周辺地域で絞り染めが生産されるようになったり、模倣品が出回ったりと、「有松絞り」ブランドの評判に傷がつきかねない状況が生まれてしまいました。そこで尾張藩は、有松絞りを保護しようと絞りに関する独占的な営業権を有松の業者に与えたといいます。

こうした統制もあり、有松の町はますます栄えていきますが、1784(天明4)年の大火事により、町のほとんどを焼失してしまいます。途方に暮れる有松の人々でしたが、尾張藩は町を守るために全面的に支援したと伝えられています。

庄九郎をはじめ、商才に長けた人々の力もあり、より商売に適し、防火に優れた建物を再建して町の復興を実現。さらなる繁栄の契機にしたそうです。

―なぜ、尾張藩は有松の町や移住した人々を大切にしていたのでしょうか。

竹田:有松を開村する際、徳川家は家康の生母・於大(おだい)の方が暮らした阿久比に恩義を返したいという願いがありました。そのため、阿久比から招いた移住者たちの生活が困窮することに、目をつぶることはできなかったのでしょう。

有松絞りの占有権を与え、町の立て直しをバックアップするなど、尾張藩は有松で暮らす人々と町の繁栄を支え続けました。

激動の時代を乗り越え守り継がれた、日本が誇るべき手技

―歴史が大きく転換した近代以降、有松に時代の煽りはあったのでしょうか。

竹田:明治維新を機に、有松絞りの独占的な営業権が消滅しました。すると、周辺地域でも絞り染めを手がける業者が出現。東海道の往来者が大幅に減少したことも重なって、有松絞りは衰退期を迎えます。

しかし、新たな意匠や製法の開発に対する飽くなき探究心店頭販売からの脱却による販路の拡充などの施策が奏功し、有松絞りは再興に成功しました。

―その後、第二次世界大戦という歴史的な転換期を迎えた日本。有松絞りにはどのような影響がありましたか。

竹田:ほかの産業も同じですが、大戦中の戦時統制による原料不足など、有松絞りは生産継続の危機に直面しました。戦後は一時復調の兆しもありましたが、日本経済の成長に伴って、着物離れや格安な海外製品の流通が進み、有松絞りの生産量は激減していきます。

一方で、先人たちが生み出した多彩な技法や複雑な模様日本人ならではの手間と根気によって生み出される精緻な仕上がりなど、有松絞りには唯一無二の美しさがあるため、世界各地で作られている絞り染めとは一線を画し、日本が誇る希少な伝統工芸品として受け継がれ、高い評価を得るようになっていきました。

*****

有松の町の成り立ちや有松絞りの誕生には、徳川家の思いと支援が大きく関わっていたことがわかりました。そして、竹田庄九郎をはじめとした先人たちのチャレンジ精神や美的センス、ものづくりに対する真摯な姿勢が、現代の有松絞りへとつながっているようです。

後編では、有松が誇る歴史的建造物や町並み海外で評価される有松絞りの魅力などを紹介。そして、後世へ伝統文化を継承することへの思いも伺います。

>>>有松絞りの文化と町の歴史を未来へつなぐ「竹田嘉兵衛商店」 ~後編~

店舗情報

株式会社竹田嘉兵衛商店
1608(慶長13)年、初代竹田庄九郎武則により創業。有松絞りの着物から小物まで、伝統の技と現代の感性を取り入れたものづくりで、数多くの商品や作品を展開。世界的なデザイナーとのコラボや世界各国の美術館での展覧会に出品するなど、有松絞りの魅力をグローバルに発信している。

住所:愛知県名古屋市緑区有松1802番地
TEL:052-623-2511(受付時間:9:00〜17:00、土日祝休み)
HP:https://www.takeda-kahei.co.jp/

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