Search

有松絞りの文化と町の歴史を未来へつなぐ「竹田嘉兵衛商店」 ~後編~ | クラシスホームの最新ニュース





クラシスホームが本社を構える名古屋市緑区を中心とした、名古屋の南東部エリア。伝統や豊かな自然、新興住宅地で形成される新たな文化など、歴史が薫る古きよき町並みが豊かな表情を見せます。
「町の魅力をお伝えしたい!」という思いから、クラシスホーム近隣のお店をご紹介。記念すべき第1回は、緑区有松が誇る伝統「有松絞り」を守り、次世代へ継承する「竹田嘉兵衛商店」代表取締役会長の竹田嘉兵衛さんにお話を伺いました。前編では、町の成り立ちや伝統の興りについて伺っています。
>>>有松絞りの文化と町の歴史を未来へつなぐ「竹田嘉兵衛商店」 ~前編~
後編では建造物の歴史的価値や絞りが海外で評価される理由、これからの町づくりへの思いについて伺います。
(以下、「竹田嘉兵衛商店」代表取締役会長の竹田嘉兵衛さん=竹田 ※敬称略)
―有松地区は、2016(平成28)年7月に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
竹田:はい。1973(昭和48)年から、有松では全国に先駆けて町並み保存の活動を続けてきました。1984(昭和59)年には、名古屋市によって「有松町並み保存地区」に指定されています。
その後、地元住民の賛同署名などを基に、国の「重要伝統的建造物群保存地区」への選定を申請。今でも残っている貴重な建造物は、住民たちの熱意によって守り継がれています。
―竹田嘉兵衛商店様をはじめとする有松の伝統的建造物には、どのような特徴があるのでしょうか。
竹田:前編でもお話した通り、有松は1784(天明4)年の大火事によって町のほとんどを焼失してしまいました。その経験から、防火を考慮した建築技法の数々が取り入れられ、絞り商家の特徴として残されています。例えば、漆喰による塗籠(ぬりごめ)造りや瓦葺きの屋根、屋根部分の卯建(うだつ)などがその象徴的な様式です。
当家も明治・大正期に増改築を行っていますが、江戸期築と思われる主屋を中心に、絞り商家の典型的な屋敷構えをとどめています。
―主屋のほか、書院棟や茶席などの歴史が薫る建造物を守り継いでいらっしゃいますよね。
竹田:大正期に茶道家元が設計したとされる洋室や書院など、和と洋のそれぞれの要素が調和した当時の和洋折衷建築を色濃く伝えています。
また、14代徳川家茂公が立ち寄ったと伝わる茶室「栽松庵」も、歴史的価値のある造りのひとつです。茶室に代表される「にじり口」ではなく、身分の高い方が立った姿勢のまま出入りできる「貴人口」を設けるなど、めずらしい建築様式も見られます。
―他の地区に比べて間口が広い点も、有松の建造物の特徴だそうですね。
竹田:大火事の後、絞り商家は東海道を往来する旅人に向けて店頭販売をするため、東海道に面する間口の広い主屋を再建しました。なかでも、有力な商家は広大な敷地を持っていたことから、庭を囲むように茶室や書院、離れなどを配置したようです。
―有松の建造物は古くから世界的な評価が高かったのでしょうか。
竹田:有松絞りが外国人の目に留まったことを伝える、幕末の記録が残されています。幕末から明治期の日本に関する記録を著した、イギリス人外交官のアーネスト・サトウという人物を描いた書物によると、有松の商家は「私が日本で見た家の中で、最も清潔で豊かな感じのする町」と評価されていたようです。。
―地域に繁栄をもたらした有松絞りですが、戦後は順風満帆ではなかったそうですね。
竹田:私は敗戦直前に生まれ、日本全体がとても貧しい状況下で子ども時代を過ごしました。チョコレートやサンドイッチ、ジャズ、ハリウッド映画など、華やかなアメリカの文化に強く憧れたものです。
日本人の多くがアメリカの価値観に魅了されていた戦後の時代は、有松絞りのみならず、日本が培ってきた伝統的な価値観や文化は影を潜め、外国文化ばかりがもてはやされる風潮に包まれていきました。
―日本の文化や有松絞りに再び目を向けたきっかけについて教えてください。
竹田:大学卒業後は商社に勤めていましたが、家業を継ぐために退職。帰郷する前に「どうしても自分の目で世界を見てみたい」と思い立ち、バックパッカーとして世界各地を巡りました。
衝撃的だったのは、パリの町並みやドイツの工芸美術など、古くから守られてきた暮らしや文化の美しさが守られていたこと。世界の魅力に触れたことで、日本人が失ってしまった美しい町の風景や伝統の価値に、大いに気付かされたのです。
旅の経験から、日本が誇るべき文化を後世へ受け継がなければならないという思いが強くなり、家業を継いだ私を突き動かしました。
―その後、有松絞りが「ジャポニズム」として世界でスポットライトを浴びるようになりますが、その経緯についてお聞かせください。
竹田:歴史を紐解くと、1900(明治33)年にフランス・パリで開催された「世界万国博覧会」に、6代目竹田嘉兵衛ほか有松の絞り業者5名が絞り作品を出品したのが始まりです。1990年代に入ると、デザイナーのイッセイミヤケ氏やコシノ・ヒロコ氏が絞り素材を用いた作品を発表し、話題を集めました。
その後、ロンドンやセントルイス、パリ、ウイーンなどの世界各地で展覧会を開催。有松絞りはジャポニズムのひとつとして、世界に誇る伝統工芸の地位を確立しました。
―有松絞りが世界で親しまれていることを実感する出来事があったそうですね。
竹田:ドイツのフランクフルトにある美術館を有松絞り展で訪ねた時のこと。館長が絞りの作品を目にして、「Sweet memory(=懐かしい、良い思い出)」という言葉を残しました。
日本人にとっては、長きにわたって縁遠い存在となってしまっていた絞り文化ですが、ヨーロッパをはじめとする諸外国では、自分たちの文化の原点ジャポニズム、アールヌーボに続く芸術や文化の原点として親しまれ続けていたことに気づく出来事でしたね。
―2019(令和元)年、有松の文化と伝統のストーリーが日本遺産に認定されました。
竹田:『東海道中膝栗毛』の主人公・弥次さんは、「ほしいもの有松染めよ人の身の あぶら絞りし金にかえても」と有松絞りの素晴らしさを詠み、手ぬぐいを買ったとされています。今では町を歩いていくと、古い商家の玄関先には有松絞りを施した藍染めの暖簾が掲げられ、江戸時代にタイムトリップしたかのような感覚を覚えます。
有松絞りという伝統や先人たちが遺した歴史的建造物、古き良き町並み……。これらすべてが調和した有松のストーリーは、まさに日本遺産の名にふさわしいと言えるでしょう。
―これからの有松について、目指すべき町の姿はどのようなものでしょうか。
竹田:日本遺産に認定されたことで、有松は観光地として見られることも多くなりました。昨今では、「観光」の意味として「大勢の客が押し寄せて、お金を使う消費行動」のようなイメージで使われることが多いように感じますが、本来は「国の優れたものに光を当てて観せる」という意味で使われていた言葉です。
この「観光」という言葉の本質に立ち返り、今後は観光地としての有松についても考えていく必要があるのではないでしょうか。有松の優れた文化を伝えることに重きを置いた観光地としてのあり方を取り戻したいと考えています。
―最後に、今後の町づくりに対する思いについてお聞かせください。
竹田:2022(令和4)年に「有松まちづくりの会」を中心に、30年後を見通したグランドプランの策定を目指すシンポジウムが開催されました。そこで提案されたのが「有松サローネ(※1)構想」です。これには、有松を人の集まる地域にすることで、人の交流や情報の収集、産業や経済の振興に結びつけようという狙いがあります。絞り染めの産地として貴重な文化遺産を有し、伝統産業が脈々と継承されている有松の町全体を、国際的に開かれた「客間」のようにするという意味が込められているのです。
江戸時代、江戸から京都までを結ぶ中継地点として経済・文化・産業が行き交い、発展を遂げた尾張地方。絞り染めを通じて繁栄した有松は、ヨーロッパ文化に大いに衝撃を与えてきました。「有松サローネ」の実現によって、かつて世界の人々を魅了したジャポニズムを超える「ネオ・ジャポニズム」を生み出し、発信することこそ、私たちの役目だと考えています。
※1 サローネ=広間、客間
*****
同じ緑区にあるクラシスホームの仕事について、「建物を建てるというのは、町を創造するということ」と話す竹田さん。「未来に残るものづくり」という点において、竹田嘉兵衛商店とクラシスホームにも通じる部分がありました。
有松の伝統や古き良き町並みに触れた時、どこか懐かしい雰囲気に安らぎを感じるでしょう。クラシスホーム緑店にお越しの際は、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
株式会社竹田嘉兵衛商店
1608(慶長13)年、初代竹田庄九郎武則により創業。有松絞りの着物から小物まで、伝統の技と現代の感性を取り入れたものづくりで、数多くの商品や作品を展開。世界的なデザイナーとのコラボや世界各国の美術館での展覧会に出品するなど、有松絞りの魅力をグローバルに発信している。
住所:愛知県名古屋市緑区有松1802番地
TEL:052-623-2511(受付時間:9:00〜17:00、土日祝休み)
HP:https://www.takeda-kahei.co.jp/
ホームページでは、“家づくりの基礎知識”やクラシスホームで注文住宅を建てられた“お客さまの声”など、家づくりに役立つ読みものを掲載しています。マイホームをお考えの方はぜひご覧ください。
